【雑記】ド素人が現代における宗教が持つ意義について考えてみる

雑記
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※本記事は無宗教かつ宗教学を1mmも修めていない人間の考察である前提で読み進めてください

宗教とは古くから人類史と密接に関連し、今なお繋がり続ける思想体系です。

科学が進み地球上や宇宙のルールが徐々に明らかにされ始め、そして地球上の人類がグローバルに繋がり始めている現代において、宗教が持つ意義とは何なのでしょうか。

人類における宗教の役割を、ド素人が考察してみます。

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宗教の始まりとは

宗教(しゅうきょう、(英: religion)は、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり[1]、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである

wikipedia「宗教」

世界最古の宗教であるゾロアスター教は、”至高神”と”悪の霊”による「善悪二元論」で特徴付けられます。

また世界三大宗教のうち2つであるキリスト教・イスラム教は、ともに「神(と付随する救世主/預言者)」による支配や創造を前提としています。

なめくじ
なめくじ

残りの仏教だけは神ではなく”覚者”が始祖なのでちょっと雰囲気が違いますね

ここから読み解ける情報は、「人類は古代から世界の真理や法則を理解しようとしてきた」ということです。

古来の人間が動植物などの眼に見える自然物を支配し始めた後、次に手中に収めようと欲したのは眼に見えない世界の法則でした。

どうして人がいて物事を考えるのか、生と死の先にあるものとは、世界の成り立ちとはなんなのか。

こういった抽象的・概念的なものを含めた”謎”を、「神」を代理として説明しようとしたのではないでしょうか。

つまり、当時まだ未熟であった生物学・天文学・地学など多岐にわたる学問における謎が、「神」という名のゴミ箱に収容されつつ宗教として成立したのではないかという考えです。

スマイルくん
スマイルくん

生物進化論なんかは未だにこのゴミ箱に入ってるな

よって黎明期の宗教は、科学を内包した学問としての側面が大きかったのだと推察します。

現在の宗教の価値

さて科学が細かな学問体系に分化し、しかも研究者により世界の法則が明らかにされつつある現代で、宗教が持つ価値を考えてみます。

なめくじからは、先ほど述べた学問的価値は薄れ、道徳的規範や固有の文化的様式に特化したように見えます。

つまり現在の宗教は、集団における一つの道徳的あるいは文化的ルールへ変質していったのではないでしょうか。

なめくじ
なめくじ

内容としては”法”と重なる部分が多かったりします

これらは現在に至って初めて開花した側面ではなく、原初の宗教でもその意味を持ち合わせていたでしょう。

しかしそれがサイドストリームからメインストリームとなって存在するようになった。

これが現在の宗教の形であると考えます。

集団としての宗教の必要性

まずはマクロ視点で、”集団”としての宗教の必要性を考察します。

人は社会性を持つ動物ではありますが、他の社会性動物と比べると個々の思考能力が高く、そのために集団として持つ行動様式から逸脱する、イレギュラーな存在が出やすい生物でもあります。

これは遺伝的多様性になぞらえ文化的多様性とでも呼べるもので、集団が適応変化するために一定数必要な存在です。

その存在がために人間は多様な文化的様式を持つに至り、厳しい環境に適応して生息域を広げ、今日の繁栄に繋がっている面が間違いなくあります。

しかし社会的安定を成し遂げた集団で考えると、イレギュラーな存在が引き起こす行動はネガティヴに働く場合があります。

例えばネガティヴに働いた歴史的な出来事としては、文化大革命やカンボジア大虐殺などが挙げられます。

これらはいずれも集団としての規模拡大や生物としての生命の維持とは真逆の方向に働き、一時的にせよ結果として集団を退廃させました。

また分不相応な武器と知識を手にしてしまった人間は、本来集団から排除できるはずのイレギュラー個体によって集団が大打撃を受けるリスクを常に負っています。

例えば現代でも銃乱射で多数者の死傷者を出す事件は定期的に起こっていますし、昔の集落レベルであれば誰かが水門を壊して集団が壊滅なんてこともザラだったでしょう。

こういった集団としてのエラーをなるべく起こさないよう、道徳的あるいは文化的一様性を保たせるルール、いわば安全装置として宗教が必要なのではないでしょうか。

個としての宗教の必要性

今度はミクロ視点で”個”の人間としての宗教の必要性について考えてみます。

人間は、やはりその卓越した思考能力のせいで唯一「自らの意思で即時的な自殺を選択できる」生き物です。

スマイルくん
スマイルくん

”緩やかな死”を選べる動物なら他にもいるがな

厳しい物理的、あるいは社会的環境に置かれた人間は、往々にして自らの意思で死を選択の天秤に載せます。

そして本来の生存能力に関わらず、個体が死んでしまうという事態が起き得ます。

これは生存本能を、ある意味では自殺という社会的行動が凌駕してしまったとも言えます。

この生物としては異常な行動である自殺が古くから問題として認知されており、それにブレーキをかけるため宗教という拠り所が求められてきたのではないでしょうか。

政治としての宗教

宗教を考える上で、政治との関係性は外せません。

集団としての宗教の必要性で述べた通り、宗教は集団としての道徳的あるいは文化的一様性を保たせるルールとしての側面があります。

国民の財産や生命を左右する政治には、宗教は法律と並んで親和性が高いルールの一つです。

特に宗教は”神”の存在を規定しているため、その絶対性を崩すのは容易ではありません。

つまり大規模な集団をある個人や特定の小集団に恭順させるには、宗教という手段は大変便利なのです。

現在では多くの国で政教分離原則が採られていますが、それは宗教における神の絶対性を笠に着た政治権力の保持と悪用の歴史からの反省です。

しかしバチカン市国に代表されるように今でも政教融合型の国家は多数存在し、また今後も無くなることはないでしょう。

現代における政治における宗教の意義というのは、学問的意義が時代とともに薄れていったのとは対照的に、古来より連綿と繋げられてきた人類史の文化的遺産でもあります。

最後に

宗教は人の生活の営みにあらゆる角度から絡まって存在しているので、その存在の意義を明瞭に言語化するのは難しいものがあります。

現在では政治や文化と絡めた文脈で語られることが多いですし、事実その通りの意義もあると考えています。

しかし人類にとって宗教がもたらす最も大きな影響とは、”個や集団の生存あるいは繁栄”という、奇しくも文化的な側面からは対極の、社会的動物としての生存本能の強化ではないでしょうか。

もしそうであるならば、文明から生まれた宗教ですら逃れられないほど、我々の遺伝子に刻まれた生物としての本能の強さを強く感じざるを得ませんね。

なめくじ
なめくじ

では次の記事でお会いしましょう!

スマイルくん
スマイルくん

またな

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